渡波(わたのは)
これは、仙台から北東の方向
石巻、女川、牡鹿半島のあたりの地図です
渡波(わたのは)、というのは、上の地図でいうと、
”Ishinomaki City”の文字の、
”City”あたりから下の海辺にある町の名前です・・・・
たいへん小さな町ですが、実はtarutaruさんのご友人で
ドイツ・フライブルク市ご在住の
うおさん、の故郷と聞いております
私は、この”渡波(わたのは)”という
美しい名前に惹かれました
”波が渡る” とても美しい表現です・・・・
この渡波の背後にあるのが、
万石浦という美しい内海です
今でも牡蠣などの養殖が盛んだそうです
この渡波には、
あの支倉常長の偉業を称える建造物があります
伊達政宗の命をうけ、スペイン・ローマに向かった
サン・ファン・バウティスタ号、です・・・・
何年か前に復元され、今こうしてその姿を見せてくれます
今から400年もの昔、
この先の月浦というところから、
遥かかなたの地へ旅立った、一隻の帆船
穏やかな午後の日差しを浴びながら
波が静かに渡っていく様を眺めながら
遠い昔の、夢あふれる出来事に
しばし思いを馳せることとなりました・・・・
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» Tomatoさん渡波へ [オイラーが ・・]
武蔵野みちのく散歩路: 渡波(わたのは)
Taruさんのブログ仲間、Tomatoさんは今年4月から仙台在住。学生時代にも仙台だったとはいえ、この数ヶ月で宮城出身の私が知らないところを、次々訪問されています。最近では歩くのももどかしいくらい、行きたいところが次々思い浮かぶようで、トラコンという秘密兵器まで携えています。
そのTomatoさんがついに渡波にも登場。ワー大変だ!歓迎の横断幕!!といいながら間抜けな私はタイミングを逃し、遅ればせながら感謝のご挨拶と共に、渡... [続きを読む]
渡波っていうと、海水浴場を思い出します。
んで、川開きの花火大会。
これも某SKT部の先輩に連れていって貰った場所です。
いや~楽しかったです。
サン・ファン・バウティスタ号は、今からみれば
わずか500tの船ですが、凄いなぁ。ロマンがあります。
帆船の話題だと、映画「マスターアンドコマンダー」。
これには痺れました。ラッセル・クロウ演ずる
ジャック・オーブリーが、素晴らしい!
#ホーンブロワーシリーズも捨てがたいですが…。
英国人における海洋小説は、我々の戦国モノと
同じかなと感じます。
チョイと長くなりました。ではでは。
投稿: えいねん | 2008年5月23日 (金) 23:38
「渡波」わたのは。
素敵な名前ですね。
漢字から海辺の景色、波音まで聞こえてくるんですもの。
それにtomatoさんの撮られた写真があれば鬼に金棒!?
(ちょっと用法を間違えているかも。。)
いま、わたしはわたのはにいます♪(えへっ)
牡蠣にも惹かれますが、支倉焼きですね~~
帆船、復元されているのですね。
どんな夢を乗せ 波に揺られて・・・
遥かスペイン・ローマですものね、壮大なロマンです。
投稿: naoko | 2008年5月24日 (土) 00:25
★★★★☆★★★★☆
★★★★☆★★★★☆
確かに気持ちが優しくなるような
素敵な街の名前です。
それにしても何だか…仙台生活
(大変な事は分かっていますが)
充実した感じを受けます。
こんな所で日がな一日、のんびりと
町の写真を撮ったら、心の洗濯
って感じになりますね(^u^)ウン
早く夏休みになって、またお嬢さんや
奥様と旅行が出来る日が一日も早く
訪れる事をお祈りしています。
投稿: ナチョパパ | 2008年5月24日 (土) 01:12
tomatoさん、こんにちは~~。
わー、すてきな帆船。
これがサン・ファン・バウティスタ号なのですね。
青空をバックにすっとマストが立って・・・すてきですね。
「渡波」という地名は初めて知りました。
お船同様すてきな響きの名前ですね。
この港からローマに向けて出帆していったのだと思うと、tomatoさんおっしゃるように本当に長旅だなぁ・・・って思いました。
現代でも船旅でなら充分に長旅といえます。
400年もの昔はきっと命を懸けての旅だったことでしょう。
港の青い空と波がその歴史をずっとみてきたのですね。
tomatoさんのページが最初に表示されたとき、一枚目の写真(ポスター地図)の上部までが写りました(私の場合)。そのとき、最初に目が吸い寄せられたのはホタテ(ポスター上部はホタテ?ですよねぇ・・・)でした。
私の頭の中にはホタテホタテホタテ・・・・(笑)
おいしそうです。
(すみません。・・・・食い意地
支倉常長に笑われそうです。
投稿: こころ | 2008年5月24日 (土) 12:14
♪えいねんさん、こんにちは~
私は、当時は奥松島より奥には行ったことありませんでした。
この船も復元とはいえ、ロマンを感じざるを得ませんね。
どの国にとっても、歴史は生きた教科書です。
温故知新で参りましょう・・・・
投稿: えいねんさんへ | 2008年5月24日 (土) 15:43
♪naokoさん、こんにちは~
お~、naokoさん、わたのはへようこそ!
私は、少し前に、なんだかとっても高いところから
戻ってきたような気がするんですが、
気のせいでしょうか・・・・
渡波って、ありそうだけど、絶対にない名前ですね。
郷愁を感じざるを得ません。
だって、私どもの祖先は海から来たし・・・・
牡蠣にも惹かれ、支倉焼にも惹かれ・・・・
おっと、もう一人、
ほたてにも惹かれた方が後からいらしゃいましたあ(笑)
この日のうららかな天気が、
まだ見ぬ異国の地に、
自分も連れていってくれそうな気持を
助長してくれたような気がします・・・・
投稿: naokoさんへ | 2008年5月24日 (土) 15:52
♪ナチョパパさん、こんにちは~
とっても心地よい名前でしょ、渡波って。
実はここには仕事で来ましたので、
ちょっとの時間を利用して、
いつも忍ばせているコンデジで撮りました。
特に土日は何かしていないと、
寂しくてしょうがありませんね。
今日も、晴れの間に朝から出かけて
今戻ってきたところです。
いつも、お気づかい頂いてありがとうございます。
実は一昨日の晩も、
善福寺に仕事で帰っていたんです・・・・
投稿: ナチョパパさんへ | 2008年5月24日 (土) 15:58
♪こころさん、食いしん坊万歳へ、ようこそ~
naokoさん、が奥のカウンターでお待ちですよ(笑)
渡波って地名、新潟にあってもおかしくないですもんね。
なぜ今まで知り得なかったのかが、私にも興味深くてなりません。
この帆船、よくできているなあ、と思いました。
なんでも仙台港からここまでちゃんと航海してきたようですよ。
でも400年前の地球の裏側までの航海・・・・本当にたいへんだったでしょうね。
支倉常長が帰ってきたときは、日本はキリスト教禁令の時代。
失意のなか、常長は数年後に亡くなったみたいですね。
体力も相当消耗していたのでしょう。
彼の晩年の気持ち。今となっては知ることができません・・・・
ホタテの左は、ウニ。
そして右の方は、サンマだな。
たんとお召し上がり下さい・・・
投稿: こころさんへ | 2008年5月24日 (土) 16:11
この辺は良く行きました。
妻の実家から近いですから。
私は女川から金華山へ行くのが好きでした。
金華山のテッペンも登りましたよ。
鯨を食べるのも好きでしたね。
投稿: あだっちゃん | 2008年5月24日 (土) 21:29
♪あだっちゃん、こんばんは~
お~、さすがは、あだっちゃん。
宮城県を知りつくしていますねえ。
女川から金華山へ行く道もいいですし、
金華山も、
確か三大霊場の一つで霊験あらたかな場所です。
鯨も好きでしたか。いや~私もなんです。
あだっちゃんも、奥のカウンターまでどうぞ~
投稿: あだっちゃんへ | 2008年5月24日 (土) 22:13
渡波!なつかし~。2月に帰郷したばかりですが、思いがけなくこんなにすぐに故郷に出会えるなんて。お天気がよかったのですね。海がきれいだったでしょう。実は私もこの記念館を訪れたのは一度だけです。一昨年帰郷した折、出来上がっていてびっくりしました。
以前Naokoさんが
>千葉(上総)の岩和田にドン・ロドリコ一行の船が座礁難破したことからと。
と書かれていましたが、ほんとにそのことから、月ノ浦まで結び付けてみると、とても興味の尽きない昔の出来事ですね。当時日本人が太平洋を初めて自力(宣教師たちの助け!)で航海するというので、メキシコまでは幕府の役人たちが乗り込んだり、その後さらにメキシコを縦断して、スペイン・ローマへ向かった支倉さん。だけどなぜ彼が抜擢されたか?などなど・・・
いっぱいの好奇心の中から、もっとも関心のあるのは、造船技術や航海術が、この事件を通して石巻・渡波それに牡鹿半島にどのように、影響したのかです。浜の人々はそこで船が作られれば、絶対興奮の日々だったと想像します。その後200海里問題まで、渡波が遠洋漁業の基地だったことと、関係あるのか、別のことか 知りたいな~と、とーくで思っている次第です。
Tomatoさん、私のご紹介もしていただき、ありがとうございます。あと数日して、時間ができたらTomatoさんの記事をトラックバックさせてくださいね。
投稿: うお | 2008年5月29日 (木) 21:12
♪うおさん、私も渡波へ戻ってきましたあ。
はい、海も空もとってもきれいでした。
風も波も穏やかで、こんな日はめったにないんじゃないでしょうか。
サンファンパークは、私は外から見ただけでした。
時間があれば中まで入ったんですけど・・・・
そうですね。今日私たちが知る歴史は大きくは間違っていないものの、
細かいところで微妙に違うんでしょう。
ましてや、支倉常長が抜擢された本当の理由など、
知る由もありません・・・・
200海里問題は、漁業を営まれる方には、本当にたいへんなことでしたね。
羽振りが良かったころは、皆な札束もって飲みに来ていたみたいです。
今は、塩釜も石巻も、その影はまったくありません。
寂しいことですね。
ましてや、食べる魚がなくなると来た日には、
目もあてられません・・・・
トラバ、どうぞよろしくお願いいたします・・・・
投稿: うおさんへ | 2008年5月29日 (木) 22:38
うおさんのブログをみて、「わたのは」という響きに引き寄せられて飛んで参りました。
はじめまして。うおさんとは少し前にドイツで出会いました。
暮らした場所の景色にひとは形づくられる部分もあるんだろうな、
と読んでいてふと感じました。
7さいと9さいの息子がいます。
うつくしい景色をたくさん見せてあげたいです。
いまはドイツですが、
帰国先は杉並です。
数年間松庵に住んでいたこともありました。
善福寺はとても好きで、いまでもときどきいっています。
おじゃましました!
また立ち寄らせていただきます。
投稿: ko-usagi | 2008年6月 8日 (日) 14:38
♪ko-usagiさん、始めまして。
そしてはるばるドイツからようこそ。
今更ながら、ブログのボーダレス性には感服いたします。
お二人のご子息可愛い盛りですね。
私にも12歳になる娘がおります。
受験があったためこのところご無沙汰していましたが、
できる限り色々な景色を見させたいと思い、
小さな頃から海外へよく連れていってました。
今年の夏は久しぶりに海外へ行けそうです。
ドイツへ行ければいいんですが、
今回は別のところにします。
お~松庵にお住まいのご経験がおありで。
そうですか、善福寺公園にもお出でいただいているのですね。
地元住民としては嬉しい限りです。
今年の4月より仙台に単身赴任しておりますので、
変則的なブログになっておりますが、
”わたのは=渡波”がひきつけたご縁ということで、
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします・・・・
もしブログなどされておられましたら、
URL教えてくださいね。
投稿: ko-usagiさんへ | 2008年6月 8日 (日) 20:27
Tomatoさん

お返事ありがとうございました。
いまのところブログはやっていないんです。ミクシーでは日記をさかんに書いていますが・・・
日本の自宅(晩秋に帰国します)は善福寺川を下った松ノ木にあります。
でもいまだに、西荻とははなれられず、かかりつけのお医者さんは西荻駅北の永楽クリニック、お野菜はナモさんで宅配してもらい、お花屋さんはエルスール、子どもたちのヴァイオリンの修理はベルクヴァイオリン工房・・・と足しげく通っています。
善福寺公園のすぐわきに住んでいる友人もいてよく遊びにいきます。
ご家族で夏に海外にいかれるのですね!
またブログにてごあんないください。たのしみにしています
投稿: ko-usagi | 2008年6月 9日 (月) 12:55
♪ko-usagiさん、こんばんは~
お~、松ノ木ですか。
善福寺川緑地や和田堀公園があって自然豊かなところですね。
そうですか、善福寺公園近くにお知り合いがおられるのですね。
秋の紅葉の美しい時期にお帰りになるのはいいことですね。
今日やっと宿や航空チケットの予約が完了しました。
今年は南の方へ行こうと思ってます・・・・
投稿: ko-usagiさんへ | 2008年6月10日 (火) 00:08
初めましてtomatoさん。
私、宮城県川崎町役場企画財政課の大浪と申します。
突然の投稿で大変申し訳ないですがお願いがございます。
tomatoさんのブログにてご使用されているサンファンバウティスタ号の写真を、本町のホームページに掲載させていただいてもよろしいでしょうか?
川崎町は支倉常長のふるさとで、今年は支倉常長出帆400周年の記念の年であります。
この記念とするべき年に、支倉常長に係るページをリニューアルしたく素材である写真を収集しておりますが、ご存じのとおり東日本大震災の津波被害により、現在のサンファンバウティスタ号は原型を留めていません。
以上のことから、インターネットにて写真を探していましたところtomatoさんの写真がイメージ通りであったため、是非使用したくお願いした次第です。
ご検討の上ご連絡いただけましたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
宮城県川崎町役場企画財政課 大浪知之
E-mail kizai@town.kawasaki.miyagi.jp
連絡先 0224-84-2111(内線1222)
投稿: 宮城県川崎町役場 企画財政課 大浪知之 | 2013年3月14日 (木) 17:12
川崎町役場 大浪様
はじめまして。
コメントありがとうございました。
私も二年前仙台で被災しておりますが
とりわけ津波被災に関することで役に立つことであるなら
何でもご協力させていただきます。
家に帰ればアップしていない
サン・ファン・バウティスタ号の写真データがまだ他にあるかもしれません。
また、ブログからのDLでは解像度が低いと思いますので
オンラインアルバムに登載して原画を数枚ご提供いたします。
そのなかからご自由に選んでお使い下さい。
コピーライトは貴役場のものにしていただいて結構です。
それでは今夜中に頂戴しているemailへご連絡いたします。
少々お待ちいただけますでしょうか。
tomato
投稿: 川崎町役場 大浪様へ | 2013年3月14日 (木) 17:32
さっそくのご返事とご協力ありがとうございます!
また、他にも写真をご提供していただけるとは嬉しい限りです。
急ぎませんので、tomatoさんの負担がかからない中でご提供いただけましたら幸いです。
私も仙台市に在住しておりますが内陸部であったため被害は最小限でした。あの時、経験したことは今でも忘れられないです。tomatoさんも大変苦労されたと思います。
支倉常長がサンファンバウティスタ号に乗って新たな境地に挑んだように、我々もまた挑戦しなければならないのだと思います。
そんな想いで皆が見て共感し、また楽しんでいただけるようなホームページを作成したいと思います。
本当にご協力ありがとうございます!
投稿: 川崎町役場企画財政課 大浪知之 | 2013年3月14日 (木) 18:46